三角測量は三角形の基本原理を応用した測量方法ですから、いつから始められたというものではなく、古くから行なわれていたものと思われます。現在いわれている三角測量より以前に三角法を利用した天体の測量が行われていました。ディオプトラ(dioptra)という測角機器で天体の位置を測定しました。 アリスタルコス(Aristarchus BC310頃~BC230頃、サモス島出身のためサモスのアリスタルコスと呼ばれます)は古代ギリシャの天文学者で太陽中心説を最初に唱えたたため「古代のコペルニクス」と呼ばれることもあります。三角法を利用して太陽と月の距離と大きさについて算出しました。またヒッパルコス(Hipparchus BC190頃~BC120頃)も古代ギリシアの天文学者で星座を決定したり恒星を1等星から6等星までの段階に分けたりしました。地球の半径を基線にして地球から月までの距離を測ったと伝えられています。しかし中世になって、三角法が載った文献はオランダの地理学者、数学者フリシウス(Gemma Frisius Regnier 1508~1555、Gemmaはゲンマ、ヘンマとも発音、)が1533年に著した「宇宙誌」(Cosmographicus)という天文・地理書であるといわれています。[George Kish:Dictionary of Scientific Biography, C.Scribner's Sons 1970 p349(Frisiusの項目)]
フリシウスの「宇宙誌」はもともと1524年、ドイツ(ザクセン)の地理学者、数学者アピアヌス(Petrus Apianus 1495~1552)の著作になるもので、フリシウスはその増補版として自著を追加して出版しました。この著作には天文学、地理学、測量術、航海法、器械製作、設計などの分野が含まれています。ラテン語で書かれている稀覯本で実物を置いている図書館は日本では少ないようですが偶然に京都大学基礎物理学研究所湯川記念館史料室でアントワープ1550年版(Gemma Frisius: Cosmographia Petri Apiani)が所蔵されていることがわかりました。糸を引っ張れば回転するボルベル(Volvelle)といわれる天文計算盤のついた珍しいもので、地理学者の小川琢治(おがわ・たくじ 1870~1941、京都大学文学部地理学教室の初代教授、のち理学部に地質鉱物学教室を創設)が入手、ご子息、三男の湯川秀樹(ゆかわ・ひでき 1907~1981)の蔵書になったものです。この著書はかなりの名著とされており、復刻版がいまも英国で出版されています。復刻版を調べてみましたが、この書ではアピアヌスは天動説を採用し地球を中心に月、太陽、惑星が回転するとし、また地球は5つの気候帯(Climata Sepetrio)に区分しています。地理に関してはフリシウスが地球上の位置測定、二地点間の距離測定、世界各地の経緯度を記述しています。ラテン語は難解ですが、図やいくつかの単語から察すると三角法を利用した測量と思われるところもあります。[Petri Apiani:Csmographia, Forgotten Books, London 2015、ページなし、復刻版にはボルベルはなし]
1590年頃、まだ望遠鏡のなかった時代にデンマークの著名な天文学者ティコ・ブラーエ(Tycho Brahe 1546~1601、1572年カシオペア座に現れた超新星Supernovaを発見)は王室の歴史研究家ヴェーデル(Anders S. Vedel)の要請によりデンマークの地図をつくる手始めとしてティコの天文台があるベーン(Hven)島とその周辺で三角測量を行ない基線は天文台の位置ウラニボルグからセントイブ教会までが設定されました。ティコの三角測量はフリシウスの著した方法ですが、地図作成のため実用化した最初といわれています。この三角測量の成果によりオランダの地図製作者ブラウ(Willem Janszoon Blaeu 1571~1638、ブラウ父子の父の方)が1596年にベーン島の地図を作成しています。[John Robert Christianson:On Tycho's Island Cambridge University Press 2000 p133][Victor E.Thoren:The Lord of Uraniborg Cambridge University Press 1990 p208]
オランダの数学者、天文学者スネリウス(Willebrord Snellius 1580~1626、スネルSnellとも呼称、光の屈折の法則n1・sinθ1=n2・sinθ2を発見)はフリシウスの理論も参考にして、オランダで最初の広範囲におよぶ三角測量を1615年に行なっています。
まず自宅近くの街の教会尖塔から始まり、ほぼ同じ子午線上にあり128キロメートルはなれたアルクマールからベルヘン・オプ・ゾームまで三角網を構成しの距離を求めました。基線はライデンからゾーテルウードまでの約5キロメートルに設定し走行距離計により測定しました。当時の長さの単位はラインランドロッドといわれ1ロッドが3.767メートルに相当します。また観測はウイレム・ブラウが製作した210センチメートルの象限儀が使われました。1595年にティコ・ブラーエの天文台があるデンマークのベーン島に滞在していたウイレム・ブラウが三角測量について、後にスネルに伝授したともいわれています。スネルはこの結果から子午線一度の長さを算出しましたが三角測量の精度が悪く3パーセント程度の誤差があったようです。[K.ファン・ベルケル、塚原東吾訳:オランダ科学史 朝倉書店 2000 p20][エリ・マオール、好田順治訳:素晴らしい三角法の世界 青土社 1999 p130]
その後、フランスの天文学者、ピカール(Jean Picard 1620~1682)やカッシーニ親子(親 Giovanni Domenico Cassini 1625~1712 イタリア生まれ、子 Jacques Cassini、1677~1756)が広範囲の三角測量をおこなっています。
日本では三角術を応用した「規矩術」が17世紀半ばにオランダから伝来しましたが、江戸時代の測量では伊能忠敬(いのう・ただたか 1745~1818)による測量でも方位と距離による「導線法」が主でありヨーロッパで18世紀、既に実施されていた三角測量を採用したものではありません。正確な基線を設け既知点からも未知点からも測角をするという本格的な三角測量は明治維新後お雇い外国人の指導によりはじまりました。
三角測量によって子午線長を算出したスネリウスはオランダのライデンに生まれ、1613年ライデン大学(Universiteit Leiden)の数学科教授になりました。スネリウスの父親ルドルフ(Rudolph Snellius 1546~1613)も同大学の教授でした。2016年5月に、わたしはライデンでスネリウスの足跡を訪ねました。
スネリウスの住居跡の建物はライデン大学本部の東、徒歩10分のところにあるドゥザーストラート(Doezastraat 2a)にあり、現在は託児所としてつかわれています。1615年、この位置を基点として近傍の測角をした記念プレートが外壁に埋め込まれています。プレートには「後方交会法」による実測図が表されています。後方交会法は三つの既知点に対して未知点からの角度を測定して未知点の位置を決定する方法です。この方法はスネリウスにより数学的に証明され、スネリウス・ポテノーの問題(Snellius-Pothnot Problem)といわれています。ポテノー(Laurent Pothenot 1650~1732)はフランスの数学者ですがスネリウスとは別に証明しています。
またライデン中央駅から約2キロメートルの北西にあるバイオサイエンス・パーク西端のニールス・ボアー通り(Niels Bohrweg)にはスネリウス・ゲバウ(Snellius Gebouw)と名称がつけられたライデン大学の数学系研究所があります。近傍の道路にはマックス・プランク通り(Max Planckweg)、アインシュタイン通り(Einsteinweg)などと著名な科学者の名前がついています。なおスネリウスが使用したとされる観測用四分儀がライデンのブールハーフェ博物館(Museum Boerhaave)にありますが建屋改造中につき見られませんでした。
ライデンは街全体が大学です。ライデン市民は1573年から翌年にかけスペイン軍と戦い、籠城、飢えに悩まされましたが、遂に水門を破壊しスペイン軍を水攻めにして退却させました。領主はライデン市民の功をたたえ何年か免税にしようとしましたが、市民はそれよりも大学をつくってほしいと申し出てライデン大学が創設されました。日本でいえば明治初年、戊辰戦争に敗れた長岡藩の教育を重視した「米百俵」の精神です。このような経緯があってか、大学と市民は一体になっていることが感じられます。。[司馬遼太郎:街道をゆく オランダ紀行 朝日文庫 2009 p78]
基線と三角網
三角形の角にあたる3点のうち2点間の長さがわかっており、その両端から残りの1点との角度がわかれば、三角形の各辺の長さは全部わかります。三角形は一つだけでなく、いくつかつながった三角形であっても最初の一辺の長さが正確であれば、あとは角度を測るだけで、すべての辺の長さがわかります。このような三角形の性質を利用する測量を三角測量といいます。
三角測量のために、地球表面上に置かれた不動の位置を三角点といいます。三角点には普通、標石が置かれますが、日本で見られる三角点は、ほとんどが四角い柱石です。にもかかわらず三角点というのは三角測量をするために目じるしとして用いるからで、柱石の形状と関係はありません。つぎつぎ置いた三角点を線で結び、いくつもの三角形を網のようにつくります。これを三角網といい、三角網で測量しようとする範囲を覆います。三角網が細長く鎖状の場合は三角鎖ということもあります。また最初に長さが測られた2点間を基線(底線とも)といいます。基線だけは基線尺という正確な物差しで測っておかなければなりませんが、このあとは角度だけ測れば、いちいち各辺の長さを測らなくても計算で求めることができます。三辺の長さが決まれば三角形が描けますから三点の相対的な方向も決まります。三角測量によらなくても点間の長さは直接、物差しではかればいいのですが、2点間が長距離であったり途中に山や川、大きな建物など障害物があると測れないことが多いのです。そこで正確にかつ能率よく測量を行うために考え出されたのが三角測量です。
短い基線を一辺とし、他の辺が極めて長い、細長の三角形では辺長の誤差は大きくなります。そのため三角測量で構成される三角形は、できるだけ正三角形に近いことが望ましいのです。測量をしようとする範囲の広さによって、基線の長さや基線をもとに三角点の位置を決めなければなりません。測量の範囲が広大になれば基線は長くとる必要がありますが、実際は平坦な地形が得られなかったり、障害物があったりして容易ではありません。そこで広範囲の三角測量では「基線の増大」という方法が採られます。
国土全体を覆う一等三角測量では、基線は数キロメートルの直線で平坦な場所を確保しなければなりません。右の図で三角点AB間を基線として、その両側に基線の長さの2~3倍の位置に新たな三角点CとDを設置し△ABCと△ABDのそれぞれの内角を測れば各辺の長さと、さらにCD間の距離も求めることができます。実際の三角測量では三角点AとBだけでなくCとDも含め三角形の内角を全部測定して測量誤差をすくなくします。つぎにCD間をあらたな基線としてEF間の距離を求めます。CD間を第一増大基線(増大辺とも)、EF間を第二増大基線(2次)といいます。同様に繰り返すと大きな三角形の各辺を測ることができます。ABからCD,CDからEFとだんだん長くなってきますが、これを「基線の増大」といいます。ふつうは一等三角点間の長さに適合する第三増大基線(3次)までです。正確に測定された基線は長い方が全体の誤差は少なくなります。全国測量がはじまるまでの地域限定の三角測量では、基線の増大は行わないで、計算により基線以外に最初に求められた一つの辺長をつぎの基線としてつかわれたこともあります。
基線は理論的には1ヶ所でよいのですが、広範囲になると各辺の誤差が増えます。その対策として三角網を複数に分割して範囲を狭くし、それぞれの三角網に基線を設け、一組の三角網の辺長計算の結果が隣接する三角網の基線長に一致(閉合)することを確かめます。このため互いに隣接する三角網に共通な基線や三角網の末端に設けた基線を「検基線」ということがあります。
三角測量は選点された三角点の位置を結んで得られる三角網によって、対象地域を覆いかぶせ、網の結び目に設置した三角点の位置で三角形の内角を測り、三角網の幾何学的条件のすべてを満たすように観測角の誤差を調整し、その結果から各辺長を計算し各三角点の座標である経緯度を定めます。三角測量では基線や測量の結果を確かめる検基線も長さに誤差がないとの仮定が成り立たなければなりません。
前方交会法と後方交会法
三角測量では原則、未知点(求点、座標が不明の点)、既知点(与点、座標が明らかな点)ともすべての三角点位置で測角を行い、未知点の位置(座標)を決定します。しかし許容できる範囲の正確さで迅速に測量を行いたい場合や未知点での測角(観測)が困難な場合は交会法が利用されます。簡易な三角測量としても平板測量としても用いられます。
前方交会法(Forward Intersection)は2ヶ所以上の観測者がいる既知点A,B,・・・(たとえば道路上の複数の点)から観測者がいない未知点P(たとえば遠くの山頂)を視準して測線のなす角度(挟角)を得ます。測線の交点Pを計算または作図によって求めPの位置を決定します。視準方向は既知点から見て前方になります。伊能忠敬の測量は導線法とよばれ距離を実測し屈曲点では方位を測る方法でしたが、誤差を少なくするために前方交会法を併用し、ときどき遠くの目標物の方位角を数点から測定し方位線が一点で合致することにより確認、修正しました。
後方交会法(Backward Intersection)は3ヶ所以上の観測者がいない既知点J,K,L・・・(たとえば遠くの複数の山頂)の各点を観測者がいる未知点Q(たとえば道路上の1点)から視準して測線のなす角度(挟角)を得ます。測線の交点(出発点)Qを計算または作図によって求め、Qの位置を決定します。視準方向は既知点から見て後方になります。
「三角点」の表記
「三角点」(三角点がもつ座標値を含む)の英語表記は国土地理院では慣例的にtriangulation pointの表記がつかわれています。三角点も含む「基準点」はcontrol point といいますが一般にはsurvey markerのほうが通用するようです。たとえば、一等三角点は first order triangulation point 、二等三角点は second order triangulation pointです。
国土地理院の旧組織である陸地測量部の昭和初期の資料では trigonometrical point に、米国の地学協会 American Geological Institute の用語集では triangulation station または trigonometric point(略して trig point)になっています。米国の三角点の標識には Geological Survey Bench Mark の刻字が入っているのもありますが、これは標高をあらわす水準点としても共用しているのでしょう。英国の測量局 Ordnance Survey の資料では triangulation station です。また、わたしの手元にある英国が測量したタンザニア政府1965年発行のキリマンジャロの地図にはtrigonometrical station の表示がありました。ちなみに、フランス語では point trigonométrique、ドイツ語では Trigonometrischer Punkt です。 各国、いろいろ言い方はあるようでが、日本でも明治初期には「三角点」のかわりに「測点」がつかわれていました。